Release Date 2020.11.24

丹後産地の将来像について(2020.10.21発表)

令和21020日~111日にかけて開催いたしました丹後ちりめん創業300年「SILK WEEKS IN TANGO TANGO TEXTILE EXHIBITION -」において、展示商談会・展示一般公開初日となる1021日(水)に丹後織物工業組合 今井 英之理事長が発表いたしました「丹後産地の将来像について」の内容を掲載いたします。

 

丹後産地の将来像について

 

 本日はご多忙のなか、また遠方からも丹後ちりめん創業300年「TANGO TEXTILE EXHIBITION」にお越しいただき、誠にありがとうございます。丹後織物工業組合 理事長の 今井 英之でございます。約20年ぶりに丹後での開催を決めたものの、新型コロナの影響で開催することすら不安ではありましたが、関係各位、組合員の皆さまのご協力をいただき、先ほどのオープニングイベントをもちまして無事スタートすることができました。心より御礼申し上げます。

 

 ご案内では「丹後織物産地振興プランの発表」となっておりましたが、産地の現状や近年の丹後産地の取り組み、そして丹後ちりめん創業300年を契機に、今後50年、100年と織物産地として歩みを続けていくために、いま思い描いている構想についてお話をさせていただくとともに、それを実現していくための決意を述べさせていただきたいと思います。

 

 ここ丹後地域は、ちりめんが始まるよりも遥か昔、1300年以上も前から続く絹織物の産地です。丹後産地の礎を築いた先人たちは、「丹後紬」や「せんじ」、「丹後絹精好」などを作り出していきますが、江戸時代中期、丹後で相つぎ起こった大飢饉により人々の生活は困窮を極めました。この状況を救うため立ち上がったのが、地元峯山藩の一人の男「絹屋佐平治」と加悦谷地域の3人の始祖たちです。始祖たちは、当時流行していた西陣の「ちりめん織り」の技法を奉公しながら学び、地元に帰郷したあと、改良に改良を重ね、今までにない丹後独自の「ちりめん」を創り上げました。これが今も織り継がれる「丹後ちりめん」の起源です。今からちょうど300年前、1720年の出来事です。

 

 一昨年、5月に日本史家の磯田先生からお電話をいただきました。「丹後ちりめんが300年前に誕生した」ことの証拠となる『獅子崎村(しいざきむら)』という古文書を発見したので寄贈したいとの電話でした。
 先生いわく、獅子崎村は雪舟「天橋立図」写生の地とされていて、古文書によると、田畑が荒れ地になって1782年には「十軒ばかりの村」になっていた。海辺で土地が悪く「作毛(収穫)」が上がらず経営継続が難しいので、「五十ヵ年以前より縮緬機(ちりめんばた)を農業余力に企て、この利潤で世渡りを送る」と記されているということで、丹後ちりめんの開始時期が1720年代前半であることを直接的に示す農村の一次資料です。現在は京都府郷土資料館に預かっていただいています。
 幾度かの艱難辛苦を乗り越えて、西陣、室町の皆様と先人のおかげにより伝承された丹後の織物業は、この地域の一大産業として発展するとともに日本有数の絹織物産地として発展を続けてきました。
 そして、今から30年少し前の昭和60年代当時の白生地生産目標は3152千反だったと記憶していますが、地元の担任理事をしていた私の父の話では「最後に踏ん張る」という意味合い(語呂合わせ)で生産目標を3152千反としたそうです。しかしながら現在は10分の1以下の30万反を割り込み、組合員数も680名程度にまで減少しています。
 着物離れなど需要減退の影響を長年にわたり受け続けてきたこと、川下からの逆算形式で価格決定がなされてきたこと、そして低い工賃で仕事を受注してきたことから将来への生活不安もあり、後を継がせたくない、後継者がいないことによって織物従事者の高齢化も進み、組合員の平均年齢は70歳前後となっています。さらには織機など生産設備の老朽化の問題も顕在化してきました。
 一方、組合の加工場においても高い加工技術を持ってはいるものの、業界環境の悪化から建物や設備の整備が思うようにできない状況が続いてきました。

 

 ただ、こうした状況下にあっても、各事業者において「和装」から「洋装」へ転換する事業者や、下請け的な立場からの脱却を図るため、糸から手当てし、自社オリジナルデザインによる帯や洋装地を手掛ける事業者も出てきています。最近では、親事業者の世代交代も随分と進み、若い世代がグローバルな市場を求めて海外の展示会へ出展し、また、そうした経験などをもとに広幅織機を導入し、これまでに培った技術力で、洋装ファッション、インテリア分野へ販路を求める動きも出てきています。
 また、組合の加工場においては、近年2つの加工場で運営してきましたが、将来へ向けて人・物などの経営資源の効率化を図り、人材の確保、育成によるさらなる加工技術の向上や、新たな付加価値加工の導入を進め、国内随一の絹織物の加工施設となっていくことを目指すため、本年3月末をもって1工場へと統合いたしました。

 

 こうして丹後ちりめん創業300年という記念すべき年を迎えるにあたり、これを契機として持続可能な夢のある産地へ変革させていくべきと考え、どのような将来を目指すべきか、そのためにはどのような取り組みをしていくべきか、数年前より検討を進めて参りました。これまでと同じことをしていたのでは、産地の未来はありません。この状況からいち早く脱却し、多くの人から魅力ある産業であると認識していただき、次世代へまたその次の世代へと、丹後の素晴らしい織物業を継承させていくための道しるべを作ることが、今の私たち世代の使命であると思っています。
 そのためには、丹後産地として今後、大きく2つのことを実現していくことが必要であると考えています。

 

 まず一つは、精練加工などを行っています加工場の建物、設備の老朽化への対応、そして生産性の向上と機能強化のための整備の実現です。
 かつて、日本各地の和装産地には絹織物を精練加工する加工場が存在していました。産地に加工場があることで、利便性がよく生産した製品の加工後の風合いなどがすぐに確認できることなどから、事業者は安心してものづくりに対応することができました。しかし、和装需要の減退とともに各地にあった精練工場は縮小、廃業を余儀なくされ、現在、小幅の絹織物を加工できる主な施設は国内に4工場だけとなっています。
 当組合も例外ではなく、最盛期には4つの工場が稼働していましたが、この敷地内で稼働する一工場のみとなりました。
 産地の拡大期に建てられたこの加工場は昭和41年の竣工で、すでに50年以上を経過しています。最盛期には1日あたり白生地1万反もの白生地を加工しておりましたが、現在は1日あたり約1千反ですので、決して効率がいい工場とは言えません。

 

 いろいろな課題があるなかで、すでに出来ることから始めようということで動き出しているプロジェクトもあります。
 作業効率、生産性の向上、職員の安全対策などについては「トヨタ生産方式」を取り入れ、外部専門家の指導の下、工場内の総点検をしている最中であります。5Sは勿論のこと、作業の見える化など、当たり前のことが出来ていなかったりなど、まだ始まったばかりですが多くの指摘をいただいています。また、SDGsの取り組みの一環として、ボイラーの燃料を重油から天然ガスに切り替えることにしており、組合創立100周年を迎える来年10月頃の稼働を目標に進めているところです。
 いずれもコストダウンにも繋がるものと確信しています。さらには、加工場には「洗える絹」を可能にする「ハイパーガード加工」をはじめとする、多くの特殊加工技術があります。こうした技術を活かして他産地や海外からの加工も受け入れるために、ホームページの刷新にも取り組みました。
 こうした将来に向けた投資と職員の待遇改善のために、非常に厳しい業界環境ではありましたが、利用組合員の皆さまのご理解のもと、昨年12月に加工料の値上げを実施させていただきました。
 このように一つ一つではありますが、多くの課題に対して取り組み始めた矢先に、新型コロナの感染が世界中で確認され、経済・社会活動が短期間で大きく変革したことは皆さんご承知のとおりです。大きく変わっていく世の中、直近に迫った厳しい経済環境を乗り切る術も身に着けていく必要性に駆られているだけでなく、中長期的にも、これまで日本文化の象徴である「和装」、「きもの」文化を支えてきた日本最大の絹織物産地として、この加工場が持つハード、ソフト両面の高い技術や資産をしっかり守り、発展させていくことが、大きな使命と考えております。

 

 そして2つ目は、丹後が国内、あるいは世界から注目される絹織物産地になるためのさまざまな機能を持つことです。
 丹後産地が持つ織り・加工の技術は勿論のこと、丹後の文化、自然、食などの背景を一体的にブランディングすることで、「テキスタイルクリエーション産地」として国内外のデザイナー、クリエーター、アーティスト、バイヤーに興味を持ってもらえる産地になると思っています。織物業のみならず地域全体の活性化を図るためにも、生産、技術・デザイン開発、また販路開拓といった「ものづくり」から、産業観光の推進や観光情報の発信、WEBSNSによる「情報発信」、そして、消費者への直接販売も行いながら商品開発へフィードバックできる機能を強化して、事業者のBtoBを基本とした新たな収入を創出する必要があると考えています。

 

 先ほど申しましたように、和装分野を中心に発展を遂げてきた丹後産地ですが、その技術力をもってファッション、インテリアなど新たな分野へ、そしてグローバルな市場を目指す事業者が誕生してきています。また、「丹後ちりめん」の枠にとらわれない新しい織物が産地内で生まれていて、この会場内をご覧いただきましたらお分かりいただけるように、多種多様な多様性を持った産地に生まれ変わっています。これらを基に各事業者によって、国内外の展示会などへ出展し商談を重ねてきた結果、海外のハイブランドからも丹後の素材に高い評価をいただいていますし、国内外のバイヤー、デザイナーなどが産地機業のもとを訪れています。また、昨年からは、海外のデザイナーが丹後に一定期間滞在し、事業者とともにプロダクト開発に取り組むというクリエーションレジデンス事業も行っています。

 

 こうした流れを後押しし、国内における丹後産地の認知度をさらに高めるとともに、世界へ向けて丹後のテキスタイルを発信するため、2年前には新たなブランド「TANGO OPEN」を立ち上げました。世界へ向けて未来を切り開く、世界に開かれた産地であることなどを意味するブランドロゴは、世界的なグラフィックデザイナーである北川 一成様に制作いただきました。東京で行ったブランド発表会には、ユナイテッドアローズ名誉会長の重松 理様にもお越しいただきました。こうしたつながりは、ユナイテッドアローズ様と丹後の事業者とのコラボ商品の開発、販売へと発展いたしました。
 これらは、丹後ちりめん創業300年事業実行委員会の総合プロデューサーを務めていただいている玉田 泉さん、佐藤としひろさんお二人の人脈により実現したことです。重松さん以外にも、ファッションデザイナー、アーティストの方々など、これまでに多くの方々を丹後産地へ招聘していただき、我々の人脈では到底お会いすることができない方々とコミュニケーションできる環境を作り出していただいています。
 今回、こうした活動が京都のブランド力向上に貢献したと評価を受け、今年9月に「京都創造者賞」を受賞いたしました。これもひとえに、京都府さんや地元2市2町の首長様をはじめ行政の皆様からのさまざまなご支援をいただいてきたおかげであり、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

 

 今回の新型コロナの影響で「新しい生活様式」のもと、従来、直接取引先に出向いて、また展示会などで対面による商談が行われていたものが、海外の展示会も含め、「オンライン商談会」という「新たな商談形式」が生まれています。オンラインを活用して産地に呼び込むだけでなく、産地にいながら日本全国と、さらには世界と繋がることができるようになりました。今回の求評会の中でも、トライアル的にオンライン商談会にも挑戦することにしています。

 

 こうした将来像に向かうために、本日のこの発表をもって、組合内や産地内での議論を一気に加速させ、組合組織の改革も含めた産地ビジョンへと完成させます。
 また、来期2021年度には京都府や地元市町、関係機関の皆様方と一緒になって、産地の将来についての議論ができるように前向きな取り組みも始めたいと思います。
 300年前、苦労に苦労を重ね「丹後ちりめん」を作り出していただいた始祖の方々の思いを、またその後も歴史的に幾度となく苦難を乗り越えてきた先人の思いを、今後さらに100年、200年と繋げるため、一部の意見・考えでなく、産地全体で徹底した議論を重ね、知恵を出し合っていく必要があります。

 

 申し上げた2点につきましては、今後の産地の運命を左右する大きな決断と言っても過言ではありません。成し遂げることは容易ではありませんが、「織物業」を魅力ある産業に押し上げ、次の世代、また次の世代へと継承する「第1歩」を丹後ちりめん創業300年を迎える今年、産地全体で踏み出していきたいと思います。
 このいただいたチャンスを契機とし、必ずチャンスにつなげていくことをお約束し、私からの発表を終えさせていただきます。
 ご清聴ありがとうございました。

 

令和21021

丹後織物工業組合

理事長 今井 英之

 

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